前世よりも後世をより良く

前世とは仏教の考え方で、輪廻転生を繰り返すという教えの中からそういった概念が発生しています。キリスト教では、天の父の元に帰るため、前世も後世もありません。
ですので帰天という言葉が使われます。人はなぜ輪廻転生を繰り返すのでしょうか。釈尊は、この世は苦であると説きます。
四苦八苦という言葉がありますが、生きている以上避けられない苦しみを指します。この苦から開放されるためには、悟りを開いて涅槃に入るしかないと説きます。
般若心経はこの智慧について書かれたもの
悟りを開くための条件の一つに、分別を持つという智慧があります。般若心経はこの智慧について書かれたものですので、悟りに達するためのひとつということになります。
生きとし生けるものは、この分別がつかない状態であるがために、何度も輪廻転生を繰り返します。生きている以上は、知らず知らずのうちに、迷い、言葉、行い、怠りによって様々な罪をおかします。
この言葉はキリスト教で使う言葉です。仏教も本質的には同じです。それを気づかないのは、智慧が足りていないからです。
悟りに一歩近付きます
これでは悟ることはできません。その間違いに一つ気がつけば、悟りに一歩近付きます。教える人によっては、人間に生まれてくることは最悪の事態だと言う方もいます。
人間は本能だけでは生きません。かならず迷いや戸惑いの中で間違いをおかします。本能的に生きている生物ほど、悟りに近いと考えるのは当然のことです。
生まれて、この世に必要なだけ生きて、死ぬ。これほどシンプルなことはありません。逆に、迷いながら、間違いながらであるからこそ、悟ることができると解く人もいます。
釈尊は人間として悟りを開いて涅槃に入られました
真実はわかりませんが、釈尊は人間として悟りを開いて涅槃に入られました。輪廻転生に話を戻しましょう。輪廻転生を繰り返すのであれば、自分の前世は気になるところです。
仏教には因縁という言葉があります。縁と縁の絡まり合いによって、今の生があると説きます。ではこの気になる事柄を調べることは出来るのでしょうか。
釈尊いわく、占いやまじないの類を信じてはならないと説きます。前世が悪かったから、良かったから、ここにいるのではありません。
前世に良し悪しは無い
十二因縁の中で、今、この時に、必要だったから、ここに存在するのです。前世に良し悪しは無いのです。なにを行ったかによって因縁が今とここを作り出します。
そこで求められているものを精一杯やりぬいてこそ、因縁によって少しずつ悟りに近づいていくのです。現世を完全にやりぬく事こそ、後世をより豊かなものにするのです。
釈尊いわく、因縁とはそういったものだと説かれます。